3人の高齢患者 |
最近、治療方針を決めるとき、本人の意思、もしくは家族の意向が尊重される。高齢者で認知症がある場合、本人の意思は確認できないことがほとんどである。 これは仮定の話であるが、同じ症状をもつ3人の患者さんがいたとする。 年齢 90歳の高齢者 精神機能 認知症が強く、意思疎通はほぼ困難 身体機能 24時間寝たきりで、ときに、車椅子に乗せてもらう程度 栄養 全介助にてなんとか経口接取をつづけていたが、難しくなった 病気 誤嚥性肺炎を繰り返す いよいよ、嚥下機能が低下し、経口摂取は困難になってきて、脱水、低栄養状態で衰弱状態。点滴や経管栄養を行なえば、まだ生きられると考えられるが今後の治療方針をどうしたらよいか? 患者さんは、「助からない」とか「もう寿命がない」というほどではないが、「老衰はすすんでいる」とはいえる。さて、医学的には全く同じ状態であるのに、家族の意向は次のとおりである。 A さん 家族は患者さんができるだけ生きていてほしいと考えている。点滴、経管栄養、肺炎の治療を希望。 B さん 家族は、自然な経過を希望。点滴や経管栄養は望まず、食べれるだけの経口摂取をつづけ、脱水、栄養失調による死亡は寿命と考える。場合によって、誤嚥で肺炎、窒息死が起こっても仕方ないと思っている。 C さん 身内がなく、本人の意思も確認できない。 患者さんの生命ということで考えるなら、生きていることと、死んでいることの間には大きな隔たりがある。家族の意向により、治療を区別してよいのであろうか? 同じ容態でありながら、Aさんには積極的に治療し、Bさんには治療を行なわず、それによって、生命の長さに差が生じる。命は地球より重いと言われてきたのに!! 一方、Cさんは本人の意向は不明であり、現実にはCさんにはどちらかと言えば積極的な治療が行なわれることになる。 栄養補給でまだ生きられるので、このケースは「尊厳死」にはあてはまらない。医師は生命を守る立場で治療すべきと考えるが、現実には家族の気持ちにそって治療方針が決まってゆく。ときには「尊厳死」ではなく「安楽死」を希望していることもあるのだが・・・? (平成22年1月)(平成23年1月改) |