透析できません


 「 A さんですが、血圧が下がって、透析できません。」

 透析担当医から電話が入った。70歳のAさんは最近様態が悪く、24時間持続透析を行っていたが、 それも、不安定になっていた。内心、いつまで透析できるか、心配していたところだった。  慢性腎不全で、血液透析をしている人が透析が出来ないことは、 それは、死を意味する。

 元気で透析を受けている人はたくさんいる。食べ物や、飲み物の制約はあるにしても、 普通の生活をおくることが出来る。しかし、透析を受けている人が体調をくずした時は いろいろ問題がおこる。 例えば、食事が出来ないと、点滴などで栄養を補給することになるが、尿が出ないので、水分が体に たまり、心不全になる。点滴で体に入る水分を考慮して、微妙なバランスをとって透析しなければならない。 投与した薬も透析で除去される。そして、一番の問題点は 体調が悪いと、透析中に循環状態が不安定になり、突然、血圧が下がったり、血管から血液が引けず 透析の機械がうまく作動せず、アラームが鳴って機械が止まってしまう。 循環状態が悪く、普通の透析が出来ない場合、24時間持続透析で少量づつ透析を行うが、患者さんは 24時間ベッド上でじっと透析を受けねばならない。体位変換もままならない。Aさんはこの 24時間持続透析も困難な状況になったのである。

 今まで人工腎臓・・・血液透析で生きてきたAさん。もともと心臓に持病があり、 今回、肺炎後急速に体調が悪化した。意識も混濁している。あきらめるべきだろうか。 透析すれば助かるかもしれないのに、その血液透析ができない。 残された最後の手段は腹膜透析である。腹膜透析とは、腹腔に管を入れ、そこから腸管のまわりに透析液を 注入する。しばらくそのままにしておいて、体の不純物がその液に溶け出すのを待って、 体から透析液を排出するのである。直接血管内の操作が入らないので、血圧など、循環動態 の影響は少ない。しかし、効率は悪い。僕は主治医として、血液透析で生きてきたAさんを 透析が出来ない状態で亡くなるのをじっと見ていることは出来なかった。

 「奥さん、血液透析は出来ない状態です。透析をやめれば助かりません。 助かるという保障はありませんが残された方法は腹膜透析です。僕としては最後まで治療したい と思いますが。」
 「・・・先生におまかせします。」

 奥さんはかなり迷っていたようだった。うまく改善するか僕も全く自信はなかった。 腹腔内へ透析用の管を挿入、腹膜透析を始めた。約2リットルの液を腹に入れ、排出することを 1日4回繰り返す。ところが、実際にやってみると体位変換も十分とれないこともあり、入れた透析液が 出てこない。腹が膨らむようで、患者さんはかえって苦しそうな表情である。腹水がたまった状態である。 血液の検査データも血液透析のような改善が認められない。3日ほど実施したが、病状はさらに悪化している。

 「先生、もうあきらめました。これ以上苦しむのはかわいそうに思います。」
奥さんと、息子さんが訴えてきた。
   「わかりました。残念ですが、透析しても無理な状況です。腹膜透析は中止します。」

 Aさんはそれから3日ほどの後、息をひきとった。状態の悪い人に対する透析は24時間持続透析が 最良の方法で、腹膜透析にはもともと無理がある。24時間持続透析が出来ない状況で、 あきらめるべきだったかもしれない。当時の僕には、透析をしている人が透析が出来ない状態で死ぬことは、 あたかも医学の敗北のように感じたような気がする。 未熟な考えで、かえって患者さんを苦しめてしまったかもしれない。 ただ、もし、腹膜透析をせず、永眠されたとしたら、患者さんの家族に後悔は残らなかっただろうか?