第四話  写 真 


 ここに、今は亡き患者さんの2枚の写真がある。数年前、デジタルカメラを購入したとき、 何でも写しまくって、「よし、患者さんの笑顔を撮ろう。」と思い立ち写したものだ。
 1枚目は癌に侵されながらも、本人は知らず、酸素マスクをつけているが、 明るい笑顔でベッドに横たわっているAさん。病気に冒されながらも、笑顔で闘病生活を送っている姿。
 2枚目は痴呆がひどいが、笑った顔がかわいいおばあちゃん。笑顔のかわいさを狙ったものだ。

 自分としてはまあまあの出来と考え、少し大きめに印刷して患者さんの枕もとに飾ってあげた。 内心、家族の方からお礼を言われるかな・・・と、思いつつ。

 一週間が経ち、2週間が経っても全く反応がない。写真の出来が悪いのか?僕は真剣に 考え、そして次のような結論にたどりついた。

 僕が見ている患者さんは本来の患者さんの姿ではない。家族にとっては あくまで病気の患者さんである。健康で元気な患者さんを知っている家族にとって、 病人としての患者さんはつらい姿に違いないと。

 また、痴呆の患者さんも同様である。他人にとって、かわいらしく思えても、 痴呆の表情を家族は決して見逃さない。痴呆のなかったときの姿、表情を知っている 家族にとってはきっと見たくない写真にちがいないはずだ。

   この考えにたどり着いたとき、僕はそっと枕もとに飾っていた写真をかたずけた。


 それ以降患者さんの写真を撮ることはやめた。ただ、回診のときは、ついつい患者さんたちがよく飾っている 家族の写真を見てしまう。

 最近見つけた、患者さんの誕生日の記念写真。看護婦さんが写した三角帽子の 患者さん。僕の写真よりずっといい。おめでたい写真なら喜んでもらえるかな。

 いつかもう一度、今度は喜ばれる患者さんの写真撮りに挑戦しようかな・・・・。