家で看取るように看取って下さい


病棟婦長が回診のときに言う。
 「先生、Bさんの食事量がさらに減っています。」
 「どのくらい?」
 「最近は半分も食べれません。」

 90歳になるBおばあちゃんはベッドで寝たきりで、体位交換、排泄介助など、 すべて、全介助状態である。 それでも、おむつの取替えなどの際、ときには、ヘルパーさんなどに爪で引っかくなど、 気丈なところを見せることがある。痩せて目がぎょろぎょろしている。 若いときは目が大きく小さくかわいい感じだったろう。
1ヶ月前ぐらいから食事量が減り、食事内容をいろいろ工夫してきたが改善せず、半月ほど前から点滴を開始していた。

 「点滴も血管がほとんどなくなって、かなり難しいくなっています。」
 「経管栄養はどうだろう?」
 「前に娘さんが 経管栄養はかわいそうだ。と、言っていました。」
 「いつも来て、ご飯を食べさせている人だね。」
 「そうです。」
 「近いうち家族と話し合おう。連絡してくれないか。」
 「わかりました。」
 
  数日後、長男と娘さんがやってきた。私は、現在の様態と今後の栄養の投与方法について説明した。
 「ご存知とはおもいますが、衰弱が進んで、だんだん食べられなくなっています。今はなんとか末梢から の点滴とすこしづつ食事を食べてもらっていますが、血管もなくなってきて、近いうちに点滴も出来なくなるでしょう。 これからの栄養を与える方法としては、経管栄養と太い血管に高カロリーの点滴する中心静脈栄養があります。」

私の説明を遮るように長男が言った。
 「私達は父親を自宅で看取りました。母親も本来は自宅で看取るのが本当ですが、私も体調が 十分でなく、病院でお世話になっています。母のことですか、どうか家で看取るように看取って下さい。 鼻から管をいれたり、太い血管に点滴することは、しないで下さい。本人が望まないと思います。お願いします。」

 「しかし、やがて食事も水分も摂れなくなりますよ。それを、ただ見ていることになります。」
と、私は困っていった。
 「それは仕方ありません。」
と、長男が答えた。さらに、娘さんが言う。
 「私が、食べさせに来ます。」

 二人の決意は強そうだった。前もって話し合っていたのでしょう。 私は説得しても無駄であると悟った。家族の希望に反して、治療を強行して、栄養を与えるべきか、 それとも、家族の気持ちを尊重すべきか?私は考え込んだ。

 栄養を与えてどのくらい生きていけるだろうか? たとえ生きていたとしても、 寝たきりで、植物状態に近い状態で、本人はそれを望むであろうか。自分も同じ状態なら 「もういいよ。」と言うだろう。

私は迷ったが、決心して言った。
 「わかりました。ご家族の気持ちを尊重します。」

さらに、2週間たち、食事量はさらに少なくなってきた。水分も飲めない。 末梢の点滴も本当に困難になった。

看護師が言う。

 「もう、点滴ルートがありません。」
 「仕方ない。点滴はあきらめよう。」

 「ここ数日はどれだけ食べているのだろう?」
 「なんとか高カロリーゼリーが午前と午後1個づつはなんとか食べていますが、主食のお粥は 毎食数口です。」
 「そうすると、栄養は400Kcalで水分も全体でせいぜい400ml程度か。」
 「目もつむっていることが多く、飲み込みも悪いです。」
看護師が言う。
 「この前は娘さんが昼に来て、ゼリーを食べさせようとしたけれど、 無理であきらめて帰って行きました。」
 「そう。いよいよ難しくなってきたな。」
私は中心静脈栄養や経管栄養の誘惑にかられながらも、平静を装った。

 さらに数日が経って、血圧が一時的に60まで下がるがまもなく90まで上昇する。 昼、家族の介助でお粥を1/3食べる。
 翌日、様子を見に行くとぼんやりと目をあけている。 そばにおやつのアイスクリームが置いてある。少し解けているが、かえって食べやすいかもしれない。 食べさせるなら今だ。 介護者も看護師も居ない。私はスプーンにアイスクリームとり、そっと口元に運んだ。唇に触れたとき、小さく口が開いた。 私はアイスクリームを静かに流し込んだ。口をもごもご動かして、おばあちゃんはごっくんと飲み込んだ。 もう一度繰り返した。しかし、数口でおばあちゃんは目をつむってしまった。私は黙ってベッドを後にした。

 次の日は朝から目を開けることはなかった。夕方、家族が面会に来たときはしっかり家族を見つめたという。 その日の夜、おばあちゃんは眠るように息を引き取った。 私は死亡診断書に老衰と記入した。

 私達はおばあちゃんを「 家で看取るように看取った。 」のだろうか?  現在、大多数の人は病院でなくなる。だれでも、気持ちの上では自分の家で死にたいと考えるが、 家族の負担を考えると自宅ではかえって心苦しい。病院などの施設で最期を迎えるほうが 本人にとっても家族にとっても望ましいことかもしれない。 ただ、施設で「患者さんの尊厳を保って医療ができるか? 家族のように介護ができるか?」という問題が残る。 いや、『患者さんの尊厳を保って医療を行い、家族のように介護する。』のが私達の使命のはず。 これが「どうか家で看取るように看取って下さい。」という言葉に隠されている本当の意味に違いない。


 それから、1ヶ月ほど経ち、Bおばあちゃんの記憶が薄れてきたとき、私は院長室に呼び出された。

院長 「Bさんの事だけど、新聞社から詳しいことを聞きたいと言ってきた。」
院長の机の上にはBさんカルテがある。
私  「どういうことですか?」
院長 「誰かが、新聞社に栄養を与えず死亡したと通報したらしい。」
私  「家族の希望で、IVH(中心静脈栄養)も経管栄養もせず、看取りました。」
院長 「あとで、新聞社が来るので、待機していてくれ。」
私  「私も出席するのですか?」
院長 「君は出ないほうがいい。私が対応する。」

私はカルテを見ながら、家族との話し合いの内容など、くわしい経過を説明した。

 その日の院長との会見で、新聞社はかなり突っ込んで質問してきた。

記者 「病院なら栄養を与えるのは当然のことと思いますが。」
院長 「末梢点滴、経口摂取など、出来る限りの介護、治療はしたと思います。それ以上は家族が認めてくれませんでいた。」

記者 「この患者さんは栄養が与えられず死んだのではないですか?」
院長 「老衰で、食べられなくなって死亡したと考えています。」

記者 「今回治療として栄養を与えていたらどのくらい生きられたでしょう?」
院長 「それはわかりません。それほど長生きは出来ないと思います。」 

記者 「今回の死亡は尊厳死ですか? 安楽死ですか?」
院長 「尊厳死でも、安楽死でもありません。自然死です。」

記者 「今回の経過は院長先生もご存知でしたか?倫理委員会はあるのですか?」
院長 「倫理委員会はありません。主治医と家族の話し合いで決めています。私にも相談して欲しかったと思います。」
   
 質問の内容をみると、記者はこの死は単なる老衰死ではないと考えているらしい。 自然死(老衰)というより、尊厳死や、安楽死の問題と捉え、 尊厳死や安楽死の条件を満たしているか、疑問をもっているようである。


 翌日の朝刊に記事が掲載された。



 この記事を読みながら、私は考えた。今回、栄養を与えることなく結果的に死亡させたことに対し、 「人を出来るだけ治療し、長生きさせる医師の義務を放棄し、命を縮め、安楽死させたのではないか?」 と、言われたら、私は明確には反論できない。 しかし、私は言いたい。『私は医師としてのしてのモラル(道徳)には反しているかもしれないが、 人間としてのモラル(道徳)には反してはいない。』と。