「人の死」は「心臓死」?  


 多くの人が死んでいく。これからも死んでいく。人の死とは何のことか?
現在、死は心臓死として定義されている。心臓が止まると、やがてずべての臓器が壊死に 陥るから心臓死を人の死としたのである。脳死も認めたというが、 脳死はやがて、心臓死となるから、臓器移植のため、臓器障害がまだ進まないうちに、 早めに死と認めたに過ぎないように思う。
 人としての精神機能、運動機能が完全に障害された人を 植物状態といわれるが、この人は脳死ではない。脳の生命維持機能は残っていて、長期に 生きられるのである。

現在開発されている重要な臓器の人工装置には次のものがある。
       腎臓     腎臓移植   人工腎臓(血液透析)
     呼吸機能    ーー     人工呼吸器
     心臓     心臓移植   (人工心肺 : 心臓手術のときのみ使用)

 今、人口腎臓で生きている人はたくさんいる。呼吸機能、とくに呼吸筋の障害のため、 人工呼吸器で生きている人もいる。  もし、人工心臓が開発されればさらに多くの人が、 恩恵を得るに違いない。
 おや! 現在も、心臓移植で生きている人がいる。その人のもとの心臓は死んでいる。 しかし、移植された別の心臓でその人は生きている。  もう、人の死心臓死でなくなっている。 人工心臓ができたら、ますます、はっきり、「人の死は心臓死ではない。」と考えるだろう。
 SFの世界のように、技術が進歩し、AさんとBさんの人の頭を交換できたら、 首から下はBさんであっても、頭が Aさんであれば、その人をAさんと考えるであろう。脳だけが交換され、顔がBさんでも Aさんの脳をもった人がAさんと考えるべきだろう。心臓は単なる脳の維持装置にすぎない。 だから、「脳の死」こそが「人の死」だと思う。