リュックを背負う人  


 「婦長さんの乳癌が再発したらしい。早期で手術したはずだが、かわいそうに。」 僕に同僚の先生が教えてくれた。 「え、あの元気な婦長さんが!」僕はびっくりした。僕はこの病院に来て、まもなく3年になるが、 全く癌を患っていたことは知らなかった。

 まもなく、大学病院に入院。用事で大学に行ったとき、病室を訪ねた。ベッドの背を 立てて、本を読んでいた。題名は忘れたが、「生と死」に関する本である。 そのほかにも「生と死」や「癌」に関する数冊の本が無造作においてあった。

 「暇だから、こんな本を読んでいるのよ。」
 「そう、体調はいかがですか。」
 「悪くないよ。」

 正直、僕はとまどっていた。いままで、たくさんの人を看護してきた人が、 自ら、癌に侵され、それも再発で生命の危険が迫っている。それなのに、いや、 それだから、人の生と死を考えようとしている。

 「おもしろいですか。」
 「ためになるよ。」

 さりげなく本のことを聞き、僕は話題をさしさわりのない病院のことに変えた。 「そんな本を読んでいたら、つらいでしょう。」と僕は言いたかった。 再発の状況は、生と死を話すにはあまりにもせつない。

 まもなく僕は転勤となった。しばらくたってから、人づてに婦長さんが亡くなったことを聞いた。 そして、山好きだった彼女は自宅で静養中、空のリュックを背負って部屋を歩いていたということを。

 山が好きな僕にはわかる。山を想って空のリュックを背負う気持ち!

 大学に見舞いに行ったとき、お互いに相手が山好きとは知らなかった。 僕は山の話をしなっかったことを後悔している。 山の話が悲しさを忘れさせてくれる唯一の話であることが僕にはわかるから。