第三話  老 衰 ?


 私は部屋の窓から山並みに目をやった。黒い山影がずいぶん近くに見える。 夕方、遠くの山々がすぐそばにに近づいて見える瞬間がある。今がその時なのだ。
 暗くなって来た部屋のなかで私はぼんやりと、少し前、回診してきた老女の ことを考えていた。少し荒い呼吸音がまだ耳元に響いている。数時間以内に老女は亡くなるだろう。

 私が老女に会ったのは2ヶ月前だ。事務の職員がやってきて
 「先生、往診の依頼です。」
 「病院に来れないの。」
 「寝たきりの92歳のおばあちゃんだそうです。」
 「しょうがないなー。」

 往診は普通、行っていない。前にどうしてもと頼まれ、往診したときは、 腸閉塞の腹痛で、救急車を頼んで病院へ緊急入院となった。自宅で処置できることには 限界がある。気はすすまなかったが、私は仕方なく往診することにした。茶の間の横の6畳ほど の部屋が患者の部屋だ。部屋中を占めるベッドでの中で、患者は寝ていた。 痩せ細った、小さな体にはベッドは大きすぎるように思えた。 顔はかわいらしく、つやがいい。聴診器をあてるため 胸を開くと、あばら骨が浮き上がっている。血圧を計るため腕をまくると、そこには 皮がついているだけの骨があった。
 「これは小児用でないと正確に血圧は計れない。」
そう思いながら、黙って測定した。120mmHgで心配ない。
 「2−3日前から、何も食べないのです。」
娘という60歳台の婦人が言った。
 「熱はありますか?」
 「ありませんが、しゃべらなくなってきました」

 「少し脱水がありますね。点滴をしましょう。」

 僕は、元気が悪くなった老女の原因を決めかねていた。  「今日は少し点滴をしておきます。症状が改善しなければ、 入院を考えて下さい。病院の車で迎えに来ることもできます。」

 それにしても子供のようなあどけなさを持ったおばあちゃんだ。 人は子供として生まれ、子供に戻って死んでいくのだろうか。

 3日後のこと。同居の娘より、入院依頼の電話があり、老女は入院した。 写真を撮ってみると腸のガスが多く、麻痺性の腸閉塞も考えられる所見である。
 「おばあちゃん、お腹は痛くないですか?」
耳元で、聞こえるように大声で聞いた。老女ははっきりと首を横に振った。

 数日間、腕からの点滴を施行した。しかし、老女の様子は改善しなかった。 腸の動きの悪いこの状態では鼻から胃にチューブをいれて経管栄養も実施できない。

 細い腕の血管も細く、点滴も困難になってきており、私は、中心静脈栄養を 決断した。
 胸を消毒しながら、私は何をされるかと不安そうにしている老女に言った。
   「おばあちゃん、少し痛いと思うけど、我慢してください。」
 「痛くしないでください。」 老女のはっきりと答えに、私はびっくりしてたじろいた。入院してから、 こんなにはっきりとしゃべったのは始めてである。
 「麻酔の注射ですよ。」
鎖骨の下に局所麻酔薬を注射したとき、老女はちょっと顔をしかめたが、 決して、騒がなかった。こちらのいことをしっかり理解しているに違いない。  皮膚から少し刺すと静脈血が注射器に逆流してきた。そこに、強い生命力を 感じた。無事に中心静脈に点滴ルート確保を終えた。

 脱水を解消し、栄養が体に入れば、元気になるだろうという、私の考えは甘かった。 老女の様態はさっぱり変化がない。年齢、体力を考え、最小の点滴量にもかかわらず、 わずか肺に胸水がたまりはじめた。私は、少量の強心剤、利尿剤の投与を開始した。 そして、泥沼に落ちてく予感を感じ始めていた。

 私は指導を受けた大先輩の医師の言葉を思い出していた。
「年寄りの病気を治そうとしてはいけない。 ほんの少しだけ、体に良いことをしてあげなさい。 それが、一番大切です。」
 
 1ヶ月が過ぎ、相変わらず一進一退の状況がつづいている。 一般状態としては変わりないが、しだいに目をつむっている時間が多くなっている。  心配して、娘もベッド脇で寝泊りするようになった。

 微熱が続き、抗生物質の投与も始めた。だんだんむくみも目についてきた。腎機能の が悪化してきた。胸水も増え、利尿剤の反応も悪い。

 娘夫婦を呼んで私は様態を説明した。 「何とか、体調を戻そうといろいろ治療をしてきましたが、 心臓の機能、腎臓の機能など、改善せず、悪化しています。 現在、肺に水がたまり、尿の量も低下し、重篤で、薬の効果もありません。 残された治療は体の毒素を除去し、体に余分にたまった 水分を除く人工透析を行うことですが、高齢者の場合、 循環動態が大きく変化するので、心臓が止まることもあり、危険が伴います。」
 
「人工透析はどのように行うのですか。」
「足の付け根の血管に太い点滴の管を刺して、そこから血液を抜き、 機械できれいにした血液を体に戻します。24時間ゆっくり病室で行います。」
「ずっと、機械につながっている状態ですか?」
「はい、そうです。ただ、全身状態が改善し、腎機能も戻れば機械ははずせます。 よくなった方もたくさんいます。」

 しばらく沈黙がつづいた。娘が口を開いた。
「母はもう十分治療していただいています。これ以上の治療は母も望んでいません。」
 少し間があった。私は少し迷っていた。意を決して言った。
「わかりました。人工透析は行いません。今後急変することもあると思います。 会わせたい方には早めに連絡しておいた方がいいでしょう。」
「わかりました。」

         ・・・・・


りりりーん・・・・
けたたましいベルの音に私は我に返った。
「脈拍が落ちています。」
「今行く。」

ベッドに着くと、老女はもう呼吸をしていなっかった。モニター心電図は間延びし、 今にも止まりそうだ。心電図のアラームが鳴って、看護師があわてて消音スイッチ を押す。通常なら、ここで心マッサージを行い、ボスミンなどの強心剤を投与する 場面であるが、もうその必要はない。たとえ一時的に心臓が動きだしても、 薬がなくなるとまたすぐ止まる。私はじっと老女の顔を見た。 やっぱり、子供のあどけなさを感じる。まもなく心電図は平らになり、心臓が止まった。
私は形だけの臨終の儀式を行い、詰所にもどった。

カルテをパラパラとめくりながら、どこかで、治療に無理があったのでは ないかという考えが浮かんできた。
「先生、家族の方が見えました。」
看護師が家族を連れてきた。最後の説明である。
「せっかく、大切なおばあちゃんを預かりながら、こんなことになって 大変申し分けなく思っています。」
私は、とっさにこれだけ言うと、目頭が熱くなった。何度も患者さんを見送ってきたけれど、 こんな気持ちになったのはこの時が最初で最後だった。

 このあと、何を言ったか覚えていない。何かぶつぶつと言ったと思う。


 一週間ほどたって、娘夫婦が挨拶に訪ねてきた。
「先生にはよくしていただいて、本当にありがとうございました。」
娘が言った。
「期待に応えられず、申し訳けなく思っています。」
私は繰り返した。
「いえ、うちのおばあちゃんはもう老衰でしたから。」
娘婿がはっきりと言った。


         ・・・・・

老衰・・・老衰・・・老衰。私は心の中でつぶやいた。
自分の治療が不適切と思っていた胸に なんと快く響く「老衰」の言葉だろう。
 「そうだ、老衰に治療をしようとしても無理だ。」
救われる思いがした。

         ・・・・・

まてよ、本当に老衰だろうか? 

「痛くしないで下さい。」

老女の小声で、祈りのようなやや高い声が耳に響いてくる。
老衰で死ぬ人の声ではない。

         ・・・・・

私はその後も死亡診断書に「老衰」と書いたことはない。

         ・・・・・