入浴中の急死


 日曜日の当直、大きな出来事もなく、午後4時になろうとしていた。
突然、医局の電話が鳴った。

 「救急隊から電話です。」
 「つないで。」
 「68歳の女性ですが、浴槽で倒れていたようです。心肺停止状態です。」
 「収容をお願いします。」
 「わかりました。」
 「10分程度でそちらに到着します。」

   サイレンの音がしだいに大きくなり、救急車が到着。
ストレッチャーが降ろされ患者が到着した。救急隊は3人。一人が心マッサージ をしている。

   「風呂の中で、顔を水につけて、浮いているような状態になっていたようです。脳卒中で片麻痺 でしたが、いつも一人で入浴していたようです。心肺停止状態です。心臓の薬も飲んでいるそうです。」
 「風呂に入ってから発見までどのくらいの時間?」
 「1時間ぐらいだったようです。」
 「一緒に来ているのは?」
 「娘さんです。」
僕は歩み寄り聞いた。
 「風呂はいつもどのくらい時間かかりますか。」
 「せいぜい30分です。今日は上がってこないので不思議に思い見に行ったら、 うつぶせになっていて、びっくりして、皆を呼ん風呂から上げ、救急車をよびました。」
 「こちらでお待ちください。」

 娘さんを外に待たせ、僕達は救急処置室に入った。
風呂に入っていたせいか、体はほんのり暖かいが、唇は蒼白。
患者を処置台に運びながら、僕は生の反応を探す。
看護婦がモニター心電図をつけた。心電図は心マッサージの波形のみ。
 「マッサージをやめて」
心電図は全く平らで反応はない。
 「マッサージをつづけて。ライト」

 瞳孔は両方とも散大、瞳孔反射はない。
心電図、瞳孔、心音、脈拍、顔色など、 まったく生の反応はない。
 「発見してから、今までどのくらいかかっていますか。」
救急隊の隊長らしき人が答える。
 「救急隊が到着して今まで20分ぐらい。家族が発見して風呂からあげ、 救急隊が到着するまでも20分以上かかっていると思います。」
 「最初、心マッサージしたとき、風呂の水は吐き出されましたか?」
 「それが、ほとんど出なかったです。」
 「水は飲んでないようだったということですか?」
 「そうです。」
 「もう蘇生は無理だな・・・。」

 「マッサージとアンビュウをもう少しつづけて」

救急隊と看護婦に処置をつづけるよう頼んで僕は部屋をでた。
部屋の外には40台ぐらいの女性が不安な表情で走り寄ってきた。
「娘さんですか?」
うなずいた。
「心臓は止まったままです。もう助かりそうもありません。」
「助からないのですか?」
「残念ながら無理です。心臓マッサージを続けていますが、全く反応がありません。 残念ですが、どうにもなりません。」
「・・・もっと注意していれば・・・・わかりました。」

娘さんの目に涙があふれてきた。娘さんが自分を責めているように思え、僕は付け加えた。

「水死したわけではありません。脳卒中の再発か心筋梗塞などが起こったと考えられます。 溺れて死んだわけではありません。癌などで、長く苦しむ方もたくさんいますが、お母さんは   突然死で、苦しんで死んだとは思えません。水も飲んでいなかったようです。」

「・・・そうですか・・・。」


 介護してきた家族にとって、今回の事故はやりきれない思いだと思う。 本当に不幸な事故だ。 もし、入浴中でないとき、このような発作が起こったとしたら、 死なないですんだ可能性は残る。 だからといって、介護してきた人たちに責任はない。 医師としては、せめて苦しんで死んでいないということをはっきり断言するのが責務と考える。 これで、心の傷が完全に癒(いや)されるとは思わないが、少しでも気持ちが 楽になればと、願っている。