遅すぎた見舞い

 
 まだ40台の若い男性の胃癌の患者さんがいた。手術はしたけれど、癌性腹膜炎として再発、 末期の状態であった。本人は点滴などを好まず、最小量の点滴を施行していた。ずいぶんやせ細り、 皮膚の色も血の気もなく黒ずんでいた。
 「今日の具合いはどうですか。」
私はいつものように回診で尋ねた。
 「今日は気分がいいです。長い間会ってなかった弟が見舞いに来てくれたから。」
目をつむりながら、ゆっくりと患者さんが答えた。部屋の外に居た人が弟さんらしい。
 「そうですか、よかったですね。」

 その日、私は当直だった。夜、病棟に呼ばれ、部屋に戻ろう とした時、ソファーに座っている弟さんと目が合った。
 「お世話になっています。」
弟さんが近づいてきて挨拶した。
 「残念ながらかなり悪い状態です。」
私は言った。
 「兄は自分の病気が癌であることは知っているのですか?」
 「奥さんが話したと聞いています。本人は覚悟をしていると思います。」
 「別人のように痩せて涙がこぼれてきました。」
 「突然亡くなる場合は別ですが、闘病生活が長いとむくんだり、逆に痩せたりして、 元気なときの様子とはかなり違ってしまうことが多いものです。」
 「いろいろ、思い出話をしようと思って来たけれど、今の状態では何も言えませんでした。 もっと、元気なときに見舞いに来ればよかったのですが・・・。」
弟さんは悲しそうにうつむいた。
 「今日、お兄さんの回診をした時、弟が来たと喜んでいましたよ。」
 「そうですか。」

 子供時代、弟さんはお兄さんにずいぶん助けられたという。感謝の言葉も言いたかったが、 何か、お別れの言葉を言うようで、結局何も言えなかったという。
 「元気を出して!」
というのが精一杯であったという。


 この弟さんの後悔の気持ちはよくわかる。送る人も、去る人も、お世話になった人達に感謝の言葉を 言いたいと思う。ただ、現実はそのような心の通う時間をもてる場合はかはかなり難しいのが 現実のようだ。いっそ、センチメンタルな想いを捨てて、別れのセレモニーも捨てて、 明るく「バイバイ」するほうが気が楽そうだ。