第五話 まだ生きられまっか? |
「先生、まだ生きられまっか?」 回診のたびにSさんが聞く。本人は「まだ生きられますか?」と 聞いているようだが、私にはどうしても「生きられまっか?」と聞こえてる。 そして、いつもつづく会話。 「まだ、大丈夫ですよ。」 「なかなか、迎えがこないなー。」 Sさんは直腸癌に冒され、手術ではとりきれず、癌の大部分は残ったままで、 人工肛門を作って手術を終えている。その後、肝転移、肺転移を生じ、 末期の状態である。本人もだいたいのことは知っているらしい。 回診のたびにきまって尋ねてくる。しかし、決してこれ以上詳しいことは聞いてこなかった。 数ヶ月が過ぎ、様態に変わりはなかった。レントゲンやCT検査では、転移巣は どんどん大きくなってきている。幸い、苦しさ、痛みは起こってきていないようだ。 「まだ生きられまっか?」 「まだまだ、大丈夫。」 「そろそろ、迎えがきてもいいのに。」 相変わらず、いろいろな冗談を言って周りを笑わせている。 さらに、数ヶ月が経った。様態は悪化してきた。いつも横になって、 呼吸も苦しそうだ。だんだん口数も少なくなってきた。「まだ生きられまっか?」 も最近聞かれなくなった。 ある日、Sさんがベッドの中から私の顔をじっと見つめている。 「苦しいですか?」 私は、何か言いたそうな気配を感じ、尋ねた。 「先生、まだ死にたくなっかった。」 「・・・・・・・・」 私は言葉を失った。私は、Sさんは既に死を覚悟し、死を受け入れるものと 思っていた。まさか、「死にたくない。」と言うとは! 「まだまだ、大丈夫ですよ。」 私は、やっとのことで、いつもの返事を繰り返して、逃げるようにその場を去った。 そして、心の奥を見抜けなかった自分の愚かさを恥じた。「死にたくない」との 問いに答えることの出来ない自分の未熟さを恥じた。 あれから、ずいぶん歳月が流れたが、私はまだ、死を目前にして、「死にたくない」と 言う人に何と答えたらいいのかわからないでいる。ふと、自分が死ぬ時にならないと、その答えは わからないかもしれないと考えることがある。 |