頑固爺さん


 「頑固爺さん」という表現は失礼かもしれないが、愛着と尊敬の念をこめて使わせて いただく。

 僕が医師になりたての頃である。旭川近郊のある町立病院へ土、日の当直のアルバイトへ 行ったときのことだ。
  当直室に電話がかかってきた。
 「自宅で寝たきりのお爺ちゃんが熱が出て、『往診してください。』とのことです。」
 「わかりました。」
 看護婦と病院の車に乗って出かけた。看護婦の話によると患者さんは高齢の男性で、5−6年前に脳卒中 で倒れ、今は自宅で寝たきりの生活をおくっているという。定期的には病院には通院していなく、 風邪などで、病院につれてこられることがあったという。

町中を過ぎ、広い畑の中の道をかなり行った。
 「ずいぶん遠いですね。」
 「もう少しです。」
運転していた病院の事務の人が答えた。
 その家は畑の真ん中にあった。玄関先は花畑になっていて、マーガレットが咲いている。
 「こんにちは。病院です。」
看護婦が戸を開けて入って行った。
 「申し訳けありません。」
40−50歳台の嫁さんと思われる女性が出てきて、挨拶をした。
 「今朝から38度の熱がでて痰がらみの咳をしています。」
 患者さんは居間のとなりの8畳ほどの部屋の中央に布団をひいて寝ていた。
かなり痩せているが、こざっぱりとした身なりで、緊張した表情で、目を見開いてこちら を見ている。
 「具合はどうですか?」
僕の質問に、無視するように答えない。
 「お話はできますか?」
お嫁さんに聞くと、
 「じゃべれるのですが、無口で・・・」
困った様子で答える。
 胸の音を聴診するため開いたときも、お爺さんは拒否する態度はみせなかった。
肺の音は、肺炎を疑わせた。
 お爺さんに向かって、
「月曜日、病院が開いたら、病院に行って、レントゲン写真を撮ってください。 場合によっては、すこし入院して治したほうがいいですね。」
と、僕が言うと、お爺さんはさらに目を見ひらいて、口をへの字に曲げた。
お嫁さんに
「肺炎の心配がありますから、月曜日検査してください。」
「今日は、病院に戻って、飲み薬を用意しておきます。」

 「病院ぎらいだから・・・・」
お嫁さんが口をどもらせた。


  ・ ・ ・ ・ ・

 それから1ヶ月後、再びこの町立病院に当直で行くことになった。当初は 別な医師の予定であったが、都合が悪くなり、代理である。旭川へ行く列車の 中で、
「もしかしたら、あのお爺ちゃんが入院しているかもしれない。」
とぼんやり考えていた。

 日曜日の昼前、当直室の電話が鳴った。
「家で寝たきりのお爺さんの様子がおかしいそうです。」
「どういうこと?」
「呼吸をしていないようだ。死んでいるかもしれないと言っています。」
「救急車は?」
「家族は希望していないようです。」
「わかりました。車の手配は?」
「すぐ出発できます。」

悪い予感がした。カルテを見ながら車に乗り込む。やっぱり1ヶ月前のお爺さんだ。 あの時から、ときどき抗生剤などの薬は処方されているが、病院には受診していない。
家に着くと、急いでお爺ちゃんの部屋に駆け込んだ。
亡くなっていた。体はまだ温かい。
薄目のまぶたを閉じながら、僕は臨終であることを告げた。
覚悟をしていたのでしょう、集まっていた家族に大きな動揺はなかった。
「先月、僕が往診に来ました。その後はいかがでしたか?」
僕は聞いた。
「本人は絶対病院に行かないと強情をはるものですから、 病院には行けませんでした。」
その後、薬を飲みながら、微熱程度で一進一退の状態であったという。 今日も朝食を半分程度食べ、特別変わりなかったが、先ほど見にきたら この状態でびっくりして病院へ電話をかけたという。
「そうですか、本人は入院したくなかったのですね。」

 病院へ帰る車の中で、僕は考えこんだ。入院を勧めた僕に対して、身をもって僕に抗議 したのかもしれない。
「自分は家で死ぬのだ。」と。
『入院していたら、もう少し長生きできたかもしれないのに。頑固じいさんだ。』
これが若かった僕の気持ちだった。

 それから、十年の歳月が流れ、このお爺ちゃんのことについての考えはすこしづつ 変化をしてきた。お爺ちゃんの希望を叶えさせた家族の気持ちを考えるようになってきた。 日ごろから、献身的な介護をしていたからこそ、家で看取ることが出来たのではないかと。 お爺ちゃんも心から、家族に甘え、感謝しつつ逝ったに違いない。頑固爺さんを取り囲む 家族の愛があってはじめて可能なことではなかったと。


 そしてまた10年の歳月が流れ、僕は再び考えている。このような自宅での死には、家族はもちろん、家の状況 周り近所の理解など、社会的環境が恵まれていなければ実現しないと。 たとえ、家族、本人が望んだとしても実現できるとは限らない。 最期まで家族で介護できるのは恵まれている一部の家庭にすぎないと思う。病気によってはどうしても 入院しなければならないものもある。大多数の人は望む、望まないにかかわらず病院で死ぬのが現実である。

 病院に入院している人々に自宅のような、静かな最期を迎えさせてあげたいと思う。 高齢者の終末医療については、いろいろな考えがあります。しかし、何よりも大切なことは、難しいことかもしれませんが、 日ごろから家族のような愛情をもって患者さんを看護、介護することだと思います。 自分を含め医療関係者に声を大きくしてこのことを言いたい。