どちらが看取るか?


 「A先生の患者さんですが、急変しました。A先生がいないのでみてください。」
突然、電話のナースの声。
急いでかけつけると、70歳代ぐらいの女性のまわりに2−3人のナースが集まっている。
モニター心電図はまさに止まろうとしていた。

 「いつから?」
 「変わりなかったのですが、少し前、顔色が悪いので血圧を計ったら計れなくてモニター心電図をつけたところです。」
 「蘇生は?」
 「くも膜下出血の後遺症で寝たきりで、ご主人は蘇生は希望していないと思います。」

心電図はいよいよ間延びし、時々ピクンと波形が出現するばかり。 心マッサージをすると、その波形は増すが、止めるともとに戻る。瞳孔は散大している。
 「家族には?」
 「連絡していますが、1時間以上かかります。」
 「蘇生は無理だ。」
  やがて、心電図は平らになり、僕は時計を見た。

   自分が主治医でない患者さんが急変したとき、一番困るのは、その患者さんの病気のことを知らないので 大まかな急変の原因を推測できないこと。つぎに、家族がどこまで蘇生などを希望するかがわからないことである。
一般に高齢者が急変したとき最終的場面のことが多く。蘇生が困難なことが多い。たとえ蘇生が成功しても 人工呼吸器を装着しなければならないこともあり、そこまでする延命処置は多くの家族は望まない。 この辺の事情を看護師が的確に医師に情報を伝えなければならないし、医師は瞬間的にこれらの事情を 判断しなければならない。

 やがて、患者のご主人が到着した。70台後半ぐらいだろうか? 僕は担当者から聞いた亡くなるまでの経過を説明した。

 「わかりました。」
一呼吸してご主人が急に話し始めた。
 「子供が一人いるが、病気でまったくあてに出来ず、私が看取らなくてはならないのです。 妻はK家の墓に入ることを希望していたが、残念ながらいろいろな事情で無理なので、春になったら 妻のためにお墓をたててやろうと思う。」

 「何時からお墓の話をしていたのですか?」
 「くも膜下出血で倒れるず前のことでした。」
 「話し合ったあとで倒れたのですか。」
 「そうです。」
ご主人は今まで、心の奥にしまっていたことをいろいろ話始めた。 その様子から、自分で最期の面倒をみれることでほっとしたようにも思えた。
ご主人の話をきいているうちに僕は数週間前のことを思い出した。
            ・・・・・
その日、高齢者のラブレターの朗読を聞いた。その中の1篇に、
 『長い間妻には迷惑をかけてきたから、私はせめて君の最期を看取りたい。』
というのがあった。そのとき、ふと思った。
 『僕は医者だから妻の最期を看取らねばならない。』
今まで、同じ年の夫婦だから、当然女が長生きする。男の僕は看取られるはずとおもってきた。
 『でも、僕は医者だ。』
その日の夜、妻に言った。
 「僕は医者だから、君の最期を看取るよ。」
 「そう。」
妻は気のない返事。でも妻は友人に
 「医者だから、主人が私を看取ると言っている。」
と、話しているということから考えるとまんざらでもないようだ。しかし、僕の方は日がたつにつれて、 だんだん、気が重くなってきた。医者ゆえに自分の妻を看取ることはかえってつらい気がする。
            ・・・・・
ご主人の話をきいているうちに、聞いている僕のほうがが切なくなってきた。
 「用事がありますので失礼します。」
僕は会釈して席を立った。
  ご主人は我に返ったように、恐縮して
「あ、かえって失礼しました。」
と、言って白髪の頭を下げた。

今考えるともっと話を聞いてあげるべきだったと心残りである。