「雨ニモマケズ」 


 ずいぶんたくさんの人を看取ってきたけれど、私は、まだ、逝く人になんと言ったらいいのか わからないでいる。
 たぶん、小学生のころだと思うが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩を知った。 子供の頃は、「雨にも負けず・・・・頑張ろう」という励ましの詩と考えていたが、 そうではないらしい。その中に次の一節がある。(カタカナの原文をひらがなにしている)

     ・ ・ ・
  東に病気の子供あれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行って怖がらなくてもいいと言い
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろと言い
     ・ ・ ・
 宮沢賢治は「死にそうな人」に「怖がらなくてもいい」と言ってあげるという。
この言葉はなぜか、子供のころからずっと心に刻まれていた。

 年配の人は外来などでいつも言う。
 「もう死んでもいい。」
でも、その奥に、
 「死んでもいい、だけど死にたくない。」
という気持ちが隠されているように思える。
「死にたくない」とは死への恐怖から来るような気がする。

 「日蓮宗」の熱心な信者であったという宮沢賢治は、信仰によって死を 受け入れているのだろう。だから、死にそうな人に話しかけることが出来るに違いない。 「どんな人も、死にたくないはずだ。」と考えている私は、私自身が死そのものを 怖がっているのかもしれない。そんな私には、旅立つ人への送る言葉は無理な気がする。