尊厳死と安楽死のあいだ


 「尊厳死」も「安楽死}も『治る見込みのない病気にかかり、死期が迫っている』場合に 許される死に方です。「安楽死」は寿命を縮める行為によりもたらされる死で、 「尊厳死」は延命治療をせず、一般的治療(緩和治療を含む)によって迎える死です。 助からない状態では、治療行為を中断する「消極的安楽死」と「尊厳死」は基本的には同じと考えてよいと思います。 「積極的安楽死」は日本では法律的には認めらていません。


 
 高齢者が病気になったとき、もし、助からないとわかれば尊厳死の考え方にもとずき、 治療方法を選ぶことも出来ますが、 厳密な意味では、癌などの致死的病気以外は、どこまで回復するかはもちろん、 助かるのか、助からないのかもわかりません。
 はっきりとした根拠もないのに、「もう、年だからしかたない。」とか「もう、寿命だ。」というのを みなし末期という。この考え方には危険が潜みます。・・・「本当に寿命ですか?」
 場合によっては、「助かるのか助からないかわからない状態」で治療を中断することは「(積極的)安楽死」 と解釈され、犯罪行為とみなされる可能性があります。

 

 現実には、高齢者の場合、命はとりとめても、高度障害が残る場合も多い。また、意識がなく寝たきり状態に さらに重症の病気が併発する場合もあります。
 元気なとき、「意識がもどらない状態になったらどうしてほしいですか?」と質問すると、多くの方は「治療をやめて欲しい。」 「早く死なせてほしい。」と答えるでしょう。この場合、死が目前に迫っているわけではないので、 「安楽死を希望している」と解釈できる。

 元気なときに考える意識のない高度障害は死んだと同じことなのです。普通に食事も出来ず、話も出来ない状態は「人としての死」 にあたると考えるのはごく自然な思いかもしれません。
 「高度障害をもって、迷惑をかけて生きるくらいなら、治療をやめて人間らしく死なせてください。」という 本人の希望をかなえてあげようとすれば、意識のないような高度障害状態は「助からない状態」に等しいと考え、 「消極的安楽死」や「尊厳死」を認めて行く必要があるのですが・・・・。