無意根山(1464m)


豊羽鉱山・登山口ー無意根山

平成15年 8月16日 曇り 山本公雄
豊羽鉱山(無意根山荘)登山口(9:10)−(10:40)844m(10:45) −(11:15)休憩広場(11:20)−(11:30)水場−(12:30)薄別分岐(12:40) −(13:15)無意根山頂(13:45)−(14:15)薄別分岐−(15:00)水場 −(15:10)休憩広場(15:15)−(15:30)844m−(16:20)登山口
 登り4時間05分 山頂休憩30分 下り2時間35分  行動時間 7時間10分

 無意根山(ムイネ)には20歳の頃、北大山スキー部の友達S君に連れられて登った事がある。 山スキー部が管理している無意根小屋の当番にあたっているというのでついてきたのだ。 その時は薄別から登り、小屋で一泊し、豊羽鉱山へ下りた記憶がある。当時のことだ、 行きも帰りもバスだった。
 彼は冬の無意根の魅力を熱っぽく語っていた。 山全体が白銀のゲレンデになる。そこをすべる山スキーのすばらしさ・・・・。

 定山渓から豊羽鉱山に向かう。沢沿いの道は全線舗装されている。 昨年の今頃、単独行で登った定山渓・天狗岳が右手に姿を見せる。 今回も単独行だ。 空は曇っている。天気予報は晴れだが、どうも雲が多い。豊羽鉱山に着く。 標識はなかったが、なんとか登山口のある無意根山荘に着く。 車が2台駐車してある。  この山荘は現在閉鎖されている。 数年前、閉鎖することになったという新聞記事を読んだことがある。 (写真右上:現在閉鎖されている無意根山荘)


山荘前の案内図


 登山口がわからない。あたりをうろついていると、プレハブから人がでてきて、 「登山ですか? あすこの赤いテープが登山口ですよ。」と指差してくれた。 原っぱの奥に赤いテープが見え、踏み跡もある。「上はササが伸びて大変と 聞いていますよ。」と、教えてくれた。  小屋の正面の原っぱの踏み跡をたどると、登山口の標識があった。

 
山荘前の原っぱの奥に赤いテープ            テープと登山口の標識    


 林の中の道をのぼる。道は悪くない。登りはじめて15分ぐらいで、 左手にアパートの建物、ちょっとがっかり。その後も林の道。二股になる。 向かって左側に標識があるので左に進む。 さらに行くと、高齢の男性の登山者二人が下りてくる。

「どこから来たのですか?」
「いや、笹がひどいので途中から戻ってきたよ。ガスもかかっていたし。」
「そんなにひどいのですか・・・?」
「単独行のひとが二人登っていますよ。」


 昨夜無意根小屋に泊り、今朝下りてきたのかと思ったが        エゾアジサイの花
そうではなかった。 心配になる。札幌近郊の山は、森林限界までの登りがつらい。クマよけの 鈴の音が響く。淡いブルーのエゾアジサイの花がところどころに咲いている。 庭に植えてもきれいな花だ。
 さらに登ると、また一人が下りてきた。

「やっぱり、笹がひどいので途中から戻ってきたよ。」
「単独行の男のひとが一人登っていますよ。」

 さてさて、どうする。ますます心配になる。千尺高地の看板のエゾマツの大木 に着く。ここが千尺高地?どうも違うみたい。しだいに笹が深くなり、背丈ほどの根曲がり竹 に道が覆われてくる。かなりひどい。急にラジオの音が聞こえ、目前に人影 が見えた。手に花はさみを持ち、竹を切りながら進んでいるようだ。年配の登山者 である。

「ひどい笹ですね。」
「いっしょに行きましょう。」

僕は声をかけ、先頭に立ち、笹をかき分ける。けっこう杖が役に立つ。まだこの程度なら 大丈夫。足元の道がしっかりしていて迷う心配はなさそう。 少し行くと、休憩広場に出た。少し休憩する。無意根の山頂が見える。まだまだ遠い。

休憩広場から見る無意根の山頂


 「ここまで、3時間もかかった。どうぞお先に。」
 「僕は2時間でした。では失礼します。」

 一緒の方が互いにこころ強いが、歩くスピードがだいぶ違うようなので、 先に行くことにした。 相変わらず笹がひどい。迷子にならないように注意して進む。北海道では毎年、 この笹、といっても根曲がり竹の竹の子採りで迷子になり、遭難する人が必ずいる。 用心、用心。
 10分で、水場の小さな沢に着いた。一口味わってみる。きれいな冷たい水でおいしい。 (写真 右:小さな沢の水場) 道は少し広くなり歩きやすくなりほっとする。相変わらず笹の中で見通しはない。 ややしばらく行くと、また笹がひどくなる。今度は笹の下の道もはっきりしない。 不安が頭をよぎる。ときどきしゃがみこみ道を確かめながら進む。ときどき はっきりした登山道に出て、ほっとする。そんなことを繰り返しているうちに  やっと、笹が少なくなり、見通しがきいてきた。やせ尾根になる。 ガスっているけれど無意根小屋の赤い屋根が木の間から少し見える。その先の 木のない部分が湿原、大蛇が原(オロチガハラ)だろう。 ガイドブックにワタスゲのきれいな写真がのっている。


樹海の中に大蛇が原、無意根小屋がかすかに見える


 尾根道といっても木や笹などが多く、見通しはよくない。道端にエゾノキリンソウ、 エゾオヤマノリンドウ、ヤマハハコなどの花が咲いている。

 
ヤマハハコ               エゾノキリンソウ


 やっと、薄別コースの分岐につく。登山道は広い。登山者も多い。なだらかな登りがつづく。 振り返ると、広々とした笹原がみごと。冬なら本当に素晴らしいゲレンデだ。 山スキーの醍醐味がわかる気がする。山頂に近づくとハイマツの廊下。なかなかムード がある。いままでの苦労を忘れる。

 
薄別コースを振り返る               ハイマツの廊下


 前に連れてきてもらったとき、山頂直下で、山スキー部のかわいい女子部員が 山スキー部の遭難者を慰霊して花を手向けていたところがあったはず。注意して登っていくと 左手にケルンがあった。「美しくも厳しい春雪の無意根山で散った・・・のために」という 2名の名が刻まれた銅版がケルンに埋め込まれている。1974年と年号があり、僕が登った 時より後だ。不思議におもいつつ、さらに頂上を目指す。すると、再び石で出来た祠があり、 今度は昭和7年と彫ってある。女子部員がどちらに花を飾っていたか、思い出そうとしたが どうもはっきりしない。

 
ケルンと慰霊の銅版                    祠        


 まもなく山頂につく。すこしガスっている。年配の夫婦登山者が休んでいた。

「羊蹄山は見えませんね。」
「残念ですね。」
「薄別コースからですか。」
「そうです。」
「大蛇が原のワタスゲは咲いていますか?」
「先週来た時はきれいでしたが、今日は全く咲いていません。」

 札幌近郊の山を登って、羊蹄山が見えないとがっかりだ。それでも中岳が見え、 展望は素晴らしい。

 
無意根山の山頂の標識               中岳を望む        


 夫婦登山者が下山し、一人だけの静かな山頂となった。風はなく、暑くも、寒くもない。 ふと見ると、エゾオヤマノリンドウが咲いている。山の雰囲気にどっぷりつかり、 景色を眺めながら、遅い昼食を食べる。


山頂に咲いていたエゾオヤマノリンドウ


 予定より時間が遅れている。心残りではあるが下山開始。また笹の中を考えると気が重い。 分岐まで下ると、笹の中で別れた登山者が登ってきた。

「あのあともひどかったですね。」
「もう疲れたから頂上まで行かずに戻ろうかな。」
「せっかくここまで来たのですから、頑張って。でも時間が遅いですね。」

 その人と再び別れる。登りで苦労した分、下りは道の記憶も残り、不安もなく、快調だった。 下山後、いつものように定山渓に戻り、山頂のエゾオヤマノリンドウを思い出し ながら温泉につかった。

感想: 計画を立てるとき、薄別コースをとるか、 豊羽鉱山コースをとるか、かなり迷った。昔登った薄別コースの林道がいやだったので豊羽鉱山コース に決めたが失敗であった。笹藪歩きを強いられた。現在、登山者の大多数は薄別コースを 登っている。豊羽鉱山コースの登山道の管理が十分でないためと思う。豊羽鉱山コースの登山者も少なくなり、 結局、無意根山荘も閉鎖されている。登山ブームの今日この頃であるが、百名山には、 どっと人が集まり、その陰で、消えていく山荘、荒れていく登山道の現実がある。 寂しい気持ちで無意根を去った。
 それにしても、無意根山の最大の魅力はきっと山スキーにあると思う。つくづく先人の眼力に感服する。