「 睡 蓮 」

モ ネ

( フランス 印象派 1840-1925)


「ひなげし」 (一部分)
    1873年 33歳

   16歳ごろから絵を勉強し、画家をめざしたモネであったが、無名時代は貧しく、パリには住めず、セーヌ河流域 アルジャントゥーユで暮らした。29歳のとき20歳のカミーユと結婚。「ひなげし」は妻カミーユと子供をモデルとしている。貧しくとも 明るい希望に満ちた作品である。しかし妻のカミーユは29歳の若さで亡くなる。
「ジヴェルニーの庭」
     1902年 61歳

  40歳代になり、しだいに有名になってきたモネはパリ郊外のジヴェルニーに住み、庭造りを始める。 花が好きだったモネには、庭は大きなカンヴァスであり、作品はその一部分であった。 庭は、若き日に暮らしたアルジャントゥーユを再現していたのかもしれない。 モネの庭はいまも、美しく花を咲かせているという。
「睡蓮」 1908年 68歳

   日本の浮世絵など日本文化に興味をもっていたモネは、50歳ごろから睡蓮を描き始めた。 当初は、太鼓橋を架けた日本風庭園の一部として描いていたが、しだいに睡蓮の池のみに傾注、 86歳で亡くなるまで、睡蓮の連作を描きつづけた。ここまで傾注した理由ははっきりしない。 ただ、睡蓮といっても、花そのものではなく、睡蓮の池の水面の光に心を奪われていたようである。