よみがえれ!山の歌

 山の歌は最近歌われなくなってきているという。寂しく思っていたそんな折、 「岳人」2001年6月号で『よみがえれ!山の歌』の企画があった。 3月31日に丹沢・見晴茶屋で行われた、山の歌を楽しむ集いの様子 が報告されている。懐かしい山の歌の数々が夜遅くまで丹沢の雪空に響きわたったという。 その記事の中から玉置哲広氏の文章に感銘を受けたので、一部を転載します。


     山歌は岳人の心情そのものなのだ    玉置哲広


 山歌の心は、一緒に苦労して登った仲間たちと、あるいは連綿と 活動を続け受け継いできた人たちと深く共有できる気持ちの叫びだ。 濡れ鼠になってやっともぐりこんだテントで、吹雪で停滞の雪洞で、 人里はるか隔てた沢の焚き火の周りで、はたまた満天の星降る稜線で、 仲間たちと、あるいはひとりででも山歌をくちずさめば、ちょっと 照れて言えない精神の高揚感も感動も不安も寂しさも弾む心も、 みんな雄弁に語ってくれるのだ。
 
 「なため」で古き岳人の逍遥の心に 思いをめぐらそう。「一の倉ズンドコ節」「雲稜の山男」 で開拓者たちの弾む心を知ろう。 「北岳の歌」に胸の高鳴りを感じよう。「いつかある日」「ヒュッテの 夜」ではデュプラや深田久弥の詩を味わおう。 「山の四季」「蔵王の歌」 で北の岳人の心を知り、「坊がつる賛歌=広島高師の山男」に南の岳人 の心を知ろう。
 「ライダース・イン・ザ・スカイ」「新人哀歌」でせつなさとやせ我慢 を思いだし、「遥かな友に」「山の友よ」で苦労を共にした仲間たちを 思い出そう。そして「法政エーデルワイス」で至高の境地に達し、 「岳人の歌」で山の美に酔おう。そうなのだ、山歌の数々は、岳人の心情 そのものなのだ。

 さあ、忘れ去られないうちに、また大いに、高らかに歌い出そうではないか。 珠玉の名歌たちがこのまま消えていってしまっては山の文化の大きな損失だ。 歌っていないと、歌い継いでいかないと、歌はやがて跡形もなくなってしまう。 引くー、と言われようが、ついていけないといわれようが、かまわない。 山の世界を知るものの心情は世代が変わろうととも、必ず通じる部分があるはずだ。 伝えていこう山の歌! よみがえれ、山の歌!