田中澄江さん、亡くなる

山を愛し、花を愛した劇作家田中澄江さんが平成13年3月1日亡くなった. 91歳であった。老衰であったという。
著書『花の百名山』から、山と花への深い愛情をたどってみよう。また、 高齢にもかかわらず、執念とも思える限りなき山への意欲にふれてみよう



  花の百名山    田中澄江著    (文芸春秋)

    

あとがき

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 山へゆけば、いろいろの花が眼につき、山によって花のちがうのがおもしろくなり、 地図をひろげては次にゆく山をさがし、一つ登れば二つ登りたくなり、登って帰ればすぐ 山に戻りたくなるというのが、近ごろの気持ちである。
 山に登り、山を歩くことのよさにはいろいろあるけれど、何といっても、はるかに多く 町よりは緑が豊かなこと、水がきれいなこと、鳥やけものの存在を身近にして、この地上が、 人間ばかりのものでないと知ることができること。なによりも人間が少ないこと。

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 近ごろ、高い山の植物を町に持ち帰るひとが多いという。 あるいは、何十年も昔の私の父もその一人であったかもしれないと 胸が痛むのだが、高い山の植物は、生活条件の悪いところで 必死に咲いているのである。どうぞ、それらの花を見たかったら、 せっせと汗を流して、それらの花の咲いている場所まで登っていって、 会って来て欲しい。空気の悪い町なかに持ってきて眺めようなどというのは、 美しい山の乙女をかどわかして来て、町の中で野垂れ死させるようなものだと 心得、ゆめゆめそうした乱暴な、あこぎな振る舞いをしないでほしいと 心からお願いしたい。できれば私は、花盗人を案じて、 山の名をかくしたいほどであった。     昭和五十五年初夏

文庫本のためのあとがき


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 山へ来て丈夫になったというのは、私だけでなく私が一緒にあるいている女ばかりの 山仲間のひとたちがよく言うことである。
 私たちは、山の会として年間二十位のぼっている。そして比較的楽な山にくると、 これは八十歳、これは九十歳になっても登れそうですね、などと言いあうのである。
 実際にはどんなことになるかわからないけれど、 自分の一生の中で山にくる楽しみを持つことができたのは大きな仕合わせであったと いつも思う。
 いつまで健康が保たれ、いつまで登れるかわからないけれど、 一歩でも半歩でも、足が前に進むことのできるうちは、十センチでも五センチでも足が上に上がる間は、 山に登りたいと思う。
 なぜそんなに山が好きかと言われれば、木が好き、花が好き、 きれいな水が好き、人のいないところが好き、そこはかとなくただよっている 緑の匂い、花の匂いが好き、山の空気を胸いっぱい吸うのが好きというより言いようがない。
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(1983年4月、庭のカタクリが八つ咲いた日に)
*ハムちゃんの独り言* 僕達夫婦も いつまで山の登れるか話をすることがある。「せめて、来年は大丈夫かなー」と。 田中澄江氏の後半の文章は七十歳代前半で書かれたものだ。 これほどまでの意気込みがどこからでてくるのだろうか。ただただ、驚くばかりである。