私の好きな山の歌

友と歌った忘れられない歌がある。
孤独な山で一人で歌った歌がある。
「心に残る山の歌、思い出の山の歌を皆で語ろう。」
このページは、そんな気持ちでつくりました。まずは筆者の思いから。

皆様の思いはメールでお待ちします。

    

      山の歌は山の詩(うた)である    やまもときみお


 僕にとって、山の歌は山の詩(うた)である。言い換えれば、山の歌は 旋律をもった山の詩(し)であり、山の歌という場合の「歌」には 「詩(うた)」という意味が強く込められているように思うのである。
 山には喜びがあり、悲しみがあり、楽しみがある。 そんな感動から「山の歌」は生まれた。 明るい歌、楽しい歌もいい。寂しい歌、悲しい歌、も心にじんとくる。 好きな歌の順位はつけられない。そのとき、そのときの気持ちで、おのずから 心に浮かぶ歌がある。そんな山の歌のなかで特に好きな詩(うた)をあげると、

山の子の歌 この歌は無邪気な幼い子供の頃を思い出させてくれる。 各節最後のフレーズがいい。/山の子は歌が好きだよ/山の子は皆強いよ/山の子は皆仲良し/ 特に、2番の /雨が降り、てるてる坊主が泣いても/私達は泣かないで 山をみつめる/山の子は山の子は皆強いよ/ は、山で雨にあったときや、疲れて苦しい時など、自然に口ずさんでしまう。歌いながら、自分を元気づけているのだ。

坊がつる讃歌   この曲の歌詞はなぜか山に登る者達の心を詩っている気がする。 /人皆花に酔うときも、残雪恋し山に入り/涙を流す山男、雪解の水に春を知る/ ここで、花とは桜のことであろう。人々が下界で花見にうかれているとき、山にはいり、 春の息吹に涙する気持ち。これは山が好きな者だけが感じる思いなのではないか。

信濃恋唄  これは、しみじみとした情感をもった恋歌だ。 /いつかふたりでよ 峰々越えてよ/語り合うのはよ 二人の幸をばだよ/ この歌詞にすべての想いが集約されているように思う。

雪山に消えたあいつ 遭難した友を懐かしむうたである。 この曲を歌うと涙がでてくる。友を山で失ったわけではないが、 亡くなった友を思い出すし、いつかは訪れるであろう、 親しい人との別れを考えてしまうのである。
/山が命と笑ったあいつ 山を一番愛したあいつ/ ではじまり、2番の /山をこの俺恨みはせぬが/あんないいやつは どこにもいない/ までくると胸が熱くなってしまう。「いつかある日」とともに悲しい歌 の双璧と思う。

 まだまだ、好きな歌はたくさんある。 「剣の歌」のダンチョネ節の素朴さ、 「岳人の歌」の 乙女チックな歌詞と旋律もいい。 「シーハイル」のダイナミックな旋律にただよう哀愁も捨てがたい。 「山の四季」の北の山々を駆ける気持ち、 「なため」や、 「エーデルワイスの歌」などの 崇高な山の詩のすばらしさ。こんなにいい歌がたくさんあるのに、忘れられようとしている のは寂しい。いつまでも歌い継ごう山の歌を! いつまでも語り継ごう山の詩を!