大島亮吉の名文・名言

 北海道の山を全国に広めたという大島亮吉の名高い 名文「石狩岳より石狩川に沿うて」(『山ー随想ー』(中公文庫))を読んでみた。  この本は難しくて、読むというより本と格闘した気分である。 難しい漢字、外来語、昔の地名で実に難儀し、 どこまで彼の文を読み取れたか、はなはだ心もとないが 、自分なりに感動した部分をいくつか抜粋してみた。また、同書より たくさんある彼の言葉の中から名言と思われるものをいくつかを転載した。


     石狩岳より石狩川に沿うて


 大正9年7月21日、大島はクワウンナイ川からトムラウシ山、石狩岳 を踏破し、層雲峡に戻りさらに表大雪の縦走の計画で、案内者2名、同行者1名の計4名で松山温泉 に入る。(松山温泉:現在の天人峡温泉、松山多米蔵という人が明治30年にこの温泉を開いたという)

*出発前夜の不安な気持ち・・冒頭・・*
 ただ板片を集めて組み立てたような極めて粗造の小舎造りの浴舎の古新聞紙を張りつめた板壁で 囲まれた室のうちで、自分は鈍いランプの火光の下にある自分の姿を見出した。そして大都会の 華美な灯影とその雑然たる騒音とを遠ざかってから、この松山温泉までの遠く長かった道程のうちに 走馬灯のごとく自分の眼に映ったさまざまな事象を想い返してみた。・・・・・今更ながらずいぶん 都会を遠く離れて来たものだとしみじみ感じられた。しかしなお自分はこれらのものから遠ざかって 、ただ岩と雪と樹とのみの世界へ深くはいり込むのだ。この松山温泉は人事の世界の最後の地点 なのである。・・・・・山へ行くという前にいつも感じる一種言い難い昂奮はなかなかに自分の 疲れ切った身体を眠らせず、いつまでも忠別川の流音を耳に停(とど)まらせた。

*トムラウシ山のお花畑について*
 再び以前のところまで火山礫(レキ)、溶岩の上を眺びながら降り着いたのは 一時間後であった。この間焼け爛(ただれ)れた溶岩のうちにコマクサ、 タカネスミレ、ウルップソウ、ミヤマキンバイなどが種々の艶美(えんび) な色彩と姿態を点彩してその短いシーズンの絢爛(けんらん)さを競っている。 空(むな)しい熔(と)け残った溶岩の無限の荒寥(こうりょう)のうちに この美しい小さな生命の発露、神秘な、我らの思考し得ないこの自然の対照の 姿、御花畠と溶岩礫野とが点綴(てんてつ)して続いている。アイヌ語で Tom ra ushi が「花、葉、場所」を意味するということだが、全くその 麗(うる)わしい名に背かないことを初めて知った。

*熊の掘り起こし*
 草原に出ると、そこ一面に痛々しくも黒い土が掘り起こされ、草の根がむしり散らされ てある。その痕(あと)のかなり時日を経過していることが、掘り返された 土の表皮の白っちゃけて日に晒(さら)されて乾燥しているので了解できる。 「おうおうオヤジの畑だ」と嘉助がこともなげに言い放ちつつ進んでゆく。 これは去年の秋に熊が草の根を掘り起こして食った後だと言って浅市が後から 説明してくれる。この荒涼たる光景にはなんだか人間など来るべき場所では ないように思える。遁(のが)れるようにまた暗い深い這松の樹陰へと分け 入った。

*石狩岳からの展望*
 こうして一わたり四周を展望してみると、眼界にはいるものはただ硬い 岩石や冷たい雪、あるいはまた陰欝(いんうつ)な森林に蔽(おお)われ て、人間味の少ないあるいは全くこれまで人間との交渉を少しも有していない 山々谷々のみであることを知り、しかもその奥深い核心をなすこの地点に立つ 自分たち四人の存在を想うと一種恐怖の感情にも相似た強い自然の圧迫 をひしひしと胸に感じないわけにはゆかないのである。実際に石狩岳の 山頂よりは全く人間の住地である平原というものの片影さえも望見する ことはできない。

*川床と斜面を蔽い累々と折れ重なる風倒木を前にして*
それにしてもなんの目的をもって、自然は彼自身永い時日を費やして育(はぐく)み、 成長せしめたこれらの樹木を瞬息にしてあえなき荒廃に帰せしめるのであろうか。 またしても自分は自然それ自身のこの無益な盲目な自己破壊の事実を考える に至っては、我々の思索圏にまだ入らぬ自然の神秘さを感じて自ら感慨を 深くせざるを得なかった。

 彼等はこの山行で決して人と会わないだろうと考えていたが、2度アイヌと 会う。2度目の時のこと。

*アイヌへの感動*
 こう暗くなってはイワナを釣ることもできず、蕗(ふき)も求められず なんにも味噌汁に入れるものがないので、浅市が先刻の若いアイヌにイワナを 譲って貰おうと言うので自分は彼に若干の紙幣をもたせてイワナを買いにやったのである。 やがてしばらくして浅市がガサガサと暗いうちから帰って来た。腕には串に刺して 焼いたイワナとヤマベを数本抱えて「おい、オヤジ(アイヌ)の奴イワナはやるが 銭はいらないと言ってどうしてもとらなかったぜ。」と言いながら自分に、 片手に握った紙幣を突き返した。突如として深い感動が自分をゆり動かした。 自分はわが掌に置かれた、その皺くちゃに握り締められた紙幣をじっとみつめて、 瞬間ながら深い考えに沈んだ。そしてただちにこうした場所であのアイヌたちから 金銭をもって魚を求めんとした自分自身の心なき行為を顧みて、自ら湧く強い 慙愧(ざんき)の心に面を低くふせるのであった。


      大島亮吉の名言

 山の夜に焚火の焔(ほのお)がえがく人体のシルウェット。それはレンブランテクス の力強い明暗の筆触。いや、それどころか、それは自然の描いた最も古い、静かな 人物画。

 風の歌は山の歌だ。

 春に行ってよかった山には秋にも行こう。

 道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ。

 嵐は登山者の厳格な教師だ。

 アイヌほど美しい地名をつける種族はないようだ。

 尾根の悪いところではカモシカの歩く路と人間の通る路はひとつになる。ひどい ヤブのなかではヒグマの歩いた路と人間の歩く路とは一致する。

 落葉のうえを歩く足音ほど、心にひびく音はない。

 山へ行け!君がその憂鬱(ゆううつ)のすべてをばルックザックに入れて。 そしてこのあおあおと大気のながれる、あかるい巌(いわお)の頂きにのぼり来よ。 しかる時、いまや君の負うその重き袋は、悦びのつまった軽き袋にかわり、 心は風のようにかろく、気持ちは蒼空(あおぞら)のようにはればれと、 ほがらかになり、しかも山上の花野の上に横たわり、夕栄の圏谷の底に立っては 、君はまさにたのしい夢想とらん惰の賓人(まろうど)となるであろう。

 山。それは自分をはげしく動かす。さながら太陽よりも強く。

 登山者は老ゆるにしたがって、現実の山登りよりはなれて浪漫的におのれが所有する 山登りの回想をたのしみ、そのおのおのの山のふもとにおいて求めようとする。 おそらく幸福なる彼らはその想い出ふかき峰のすがたの前に静かに座して彼らの 最後の夕栄までをたのしむだろう。(いまグリンデルワルトの谷に老後の余生をおくって いるクーリッジを思って)